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人的ミス──原因は本当に不注意か

起きてしまったミスを活用できるかどうかは、組織のマインドセット次第だ。

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仕事をしていると、問題の原因が人的ミスだったと発覚することがあるよね。 でも僕の経験上、ノンプログラマは、ミスが発生した原因の深堀りが足りないことが多い。 もちろん、ミスが組織に被害をもたらすことを考えれば、不注意なメンバーは外したくなるし、 ミスはダブル・トリプルチェックで徹底的に除去したくなる。 しかしそれは、とても短絡的な反応だ; 前進のカギは、ミスを個人のせいとしないことなんだ。 敢えて言おう──ミスは貢献とさえ言えるかもしれない。

ここではミスという事象をふつうとは違った角度から眺め、ミスがおこるということはどういうことなのかも考えてみたい。

システムへの揺さぶり

ミスをしたくてする人はいないだろう。 まして個人レベルでは、絶対に避けたいはずだ。 しかし視点を変えれば、ミスは、ある意味貢献でもある: ミスが起こりうる箇所を見つけたんだから。

トヨタ生産方式のストイックさ──些細な問題でもライン全体をストップさせる──については前に述べた。 ライン全体をストップさせたこの社員はどうなるんだろう? クビだろうか、減給だろうか? 年商 100 兆円企業の製造ラインを止めたとなれば、賠償額はとうてい、個人が払える金額ではないはずだ。

実際には逆で、ラインを止めた彼は称賛されるんだ。 彼が不良を見過ごさなかったおかげで、会社としては、システムの根本的欠陥に気づくことができた。 生産性は短期的には落ちるだろうが、不良の発生原因を根本的に解決したことで、長期的には大きなリターンがある。 トヨタにとって不良とは、システムそのものに潜む問題をあぶり出す手段ともなっているわけだ。

欠陥を見つけるというのは案外難しくて、ソフトウェアを開発する会社は、穴を見つけるのにけっこうな金額をつぎ込んでいるくらいだ。 ミス発覚はむしろ、チャンスとして活用しよう。

具体的にどうすべきか

我々ノンプログラマが、同じ心境になるにはどうしたら良いだろうか? これを単なる精神論で終わらせないためには、「テスト」が役立つだろう。 テストの中にミスの定義を明記しておき、それが見つかったらただちに作業が止まるようにしておけばいいんだ。 間違いを犯してもすぐにそれとわかるのなら、安心して作業することができる。 セーフティネットだ。

完璧なテストを整備することはできないので、残念ながら人間による確認は最後まで必要だ。 新たなミスが人間の目によって見つかったら、すぐにそれをテストに反映してしまおう。 これを継続することで、テストはどんどん「賢く」、つまり仕事に対する組織の期待を反映するように成長してゆく。 将来、作業中にミスを犯しても、すぐにテストが検知してくれるようになる。 テストというセーフティネットを整備することで、組織は既に起こってしまったミスから最大限に「学ぶ」ことができるんだ。

挑戦文化の養成

ミスは成果物の品質を低下させるものだ。 したがって、ミスが発覚したときの反応を意識的に定めておかないと、ミスは悪いものという暗黙の空気が流れる。 確かにそれが自然な反応なのかもしれない。 しかしミスが発覚すれば、ミスをした本人はばつが悪い思いをするものだ。 ミスに対するマインドセットを明確にしない限り、組織には暗黙の非難文化が育ってしまうだろう。

そもそも、「ミスなどないに越したことはない」という考え自体、果たして本当に妥当だろうか?

人間の注意力だけで仕事が回っているような組織では、ミスのない仕事はむしろ潜在的損失さえ意味するかもしれない; ミスのない、表面的には好ましく見えるその成果物は、どれだけの注意力と時間の浪費の上に成り立っていんだろう?

ミスが起こったとき、それを「ミスが混入しうるようなシステムが欠陥が明らかになった」とポジティブに捉えることができれば、 それはワークフロー改善のきっかけとなり、挑戦文化の養成にもつながるだろう。 「ミスなどないに越したことはない」と言う資格があるのは、少なくともセーフティネットを十分に整備できている組織だけなんだ。

やってみよう

  • ミスはシステムの欠陥が明らかにしてくれるものと捉えよう
  • ミスをした人は、なぜミスを犯してしまったのだろう?そもそもミスしたくてもできないようにする方法はないだろうか?
  • ミスとして見つかった「好ましくない状態」をテストとして実装し、再発を防止しよう