Contents

タワークレーンと掛けてよい仕事のあり方と解く

その心は

/images/tower_crane.jpg

「どちらも確実に登ってゆきます」

効果的に働くためには

あらゆる組織は、顧客に何らかの価値を届けるために存在している。 仕事とは、つまるところ価値づくりなのだ [@pnp2020-work-is-value-creation]。

価値づくりの過程では、無駄を徹底的に取り除かねばならない── プロセスに無駄がある分だけ、顧客に届く価値が少なくなってしまうからだ [@ohno1978-toyota-production-system]。

確かに理想的には、既存の仕事の効率化よりも、そもそも不必要な仕事を廃止してしまう方が効果が大きい。 しかし現実世界では、他の事業への影響を抑えながら、ゆっくり改善していくことが望まれることもある。 この傾向は、とくに大企業や官公庁などでより顕著だろう。

よりマイルドな改善手法としてノンプログラマにおすすめしたいのは、作業の自動化だ。

積み上げ可能な働き方へのシフト

プログラマと比較すると、ノンプログラマは全体的に勤勉な人が多い。 勤勉さは美徳だが、単純作業の繰り返しさえ厭わないほどの勤勉さは、長期的に考えると確実に弱点となる。 ノンプログラマには、作業を積極的に自動化していく意識が必要だ。

自動化の方法は、組織のレベルに合った方法で構わない。 チーム内に皆でプログラミングを学習するモチベーションがあるならプログラム化すればよいし、 そうでないならノーコードツールを利用しても構わない。 重要なのは、自動処理に誤りがあったときに後からその箇所が目に見えること、そして誤った箇所だけを修正できることだ。

どうして自動化が、我々ノンプログラマが最初に着手すべき改善手法なのだろうか。

知的労働の利点を活かす

自動化すれば、作業の過程全てを再現可能な形で記録することができる。 これは肉体労働にはない利点だ1。 知的労働に携わっているなら、この恩恵に預からない手はない。

手戻り耐性

人間は間違いを犯す生き物。 本気で取り組んだ仕事にも、たいていミスが潜んでいる。

仕事を手作業でやっていると、ミス発覚によって手戻りが生じた場合に大惨事が起こる。 手戻り時点からのリカバリに、また最初と同じだけ時間がかってしまうのだ。 そのうえ、リカバリ作業自体にも、相変わらずミスのリスクが潜んでいる。

作業を自動化していれば、誤りがあった部分だけを修正するだけでよい。 問題がなかった部分の作業は、再度自動処理を実行することで、ほとんど一瞬で完了することができる。

昨日の「スゴイ」は今日の「当たり前」

品質には、2 種類の評価軸がある: 当たり前品質と、魅力的品質だ [@kano1984-attrac-qualit-jp]。 チョコレート菓子に例えるならば、安全に食べられることは当たり前品質、おいしいことは魅力的品質だ。 当然、「おいしい」の種類は無数にある; 口溶けがいい、カカオの香りがいい、アーモンドの歯ざわりとチョコレートの硬さのバランスがいい──。

しかし無情にも、商品のリピーターにとっては、どんな魅力的品質もすぐに当たり前品質となってしまう。 顧客にしてみれば、品質実現にどれだけコストがかかっていようと、知ったことではないのだ; チョコレートのなめらかな口溶けとカリッとしたアーモンドのコントラストに魅了されていたファンにとっては、湿気たアーモンドは劣化以外のなにものでもない。 顧客を落胆させないためには、品質を確実に積み上げる仕事のやり方が必要なのだ。

積み上げ可能な働き方をできているかを自覚するためには、どうすればよいだろうか。 例えば年次報告書の執筆プロジェクトならば、前年と同じ品筆の成果物を、数秒で生成できるかどうかを自問してみるといい。 これができなければアウトだ。 もちろん考察文など、今年の結果を受けての内容のは新たに執筆する必要があるだろうが、要はその作業こそが、このプロジェクトの本質ということだ。

効果的に働くためには、我々ノンプログラマも可能な限り自動化を活用し、いちど提供した魅力的品質は以後、当たり前に提供できるようにしたい。

まとめ

本稿では、よい仕事をするための第一歩: 自動化について述べてきた。 過去の頑張りによって達成した魅力的品質は、自動化によって順次当たり前のものとして固定し、将来の作業リソースをできるだけ魅力的品質に投資することが必要だ。

ここまで読んでくださった読者は、自動化をうまく取り入れたよい働き方とタワークレーンのアナロジーがよく理解できることと思う。 ビルを高くする(魅力的品質を高める)ためには、燃料を消費するアーム作業が必要だが、タワーを継ぎ足し、登って(少し手間をかけて自動化して)おけば、翌日には燃料を消費せずともその高さに普通に「いる」ことができる(当たり前品質)。 この働き方ができない組織は、今後生き残ってゆくことは難しいだろう [@nobeoka2011-kachi-keiei-ronri]。

意識しておく必要があるのは、自動化はただのスタート地点にすぎないということだ。 終わりのない改善の旅はここから始まる。 仕事に何らかの自動化を取り入れていることは、知的労働者としての当たり前品質ともいえる。


  1. 知的労働のほうが肉体労働より優れているという意味ではない。ただ、自動化の手軽さに恵まれているだけだ ↩︎